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高槻城下町再訪(2)
高槻城址を過ぎてさらに南へ進みます。これまで一度
も来たことのないゾーンに入りました。
しばらく、何の変哲もない大阪らしい街並みが続きます。
突然、思いかけず、タイムスリップしたような場所に迷
い込みました。
下に示すお寺を中心に、似たような古くて重厚な街並み
が集積しています。
一体どこに来たのでしょうか。ふと見ると表札がありました。
「下田部高札場」とあります。江戸時代の高札場がそのまま
残っていたのです。
場所は、下田部町。高槻市のような大阪のベッドタウンとして
都市化が激しい街で、このようにまとまって古いたたずまいが
残されているのは不思議でなりません。
(まわりは、開発されて工場や、大規模店舗など、どこにも古
いものはありません)
ただ、隣接する新興住宅街には、(悪いのですが)少し笑いが
でてしまいました。
まるでお城の天守閣のように屋根が重ねられた建売住宅が、
数十件、集積しているのです。
おそらく、昭和50年前後に建てられたのでしょうが、この「ごて
ごて感」は、関西ならではのものと、関東の目になれた目には
映ります。
現代のスタイリッシュの住宅デザインからすると、とても時代が
かっていますが、意外に50年以上すれば、レトロで味がある建
築として受け入れられるような気がします。
「時を経る」ことにより物質が風化し味が出るというのはなぜな
のかなどと余計なことを考えてしまいました。
<本日の絵>
ワットマン SM 大阪ステーションシティ屋上
昨年の9月、大阪滞在中に大阪ステーションホテルの屋上に、
庭園があるのを見つけました。若い主婦と思われる女性二人、
熱心に庭の土の手入れをしている姿をスケッチしました。
疲れていたので、細かいところまで描いていません。
も来たことのないゾーンに入りました。
しばらく、何の変哲もない大阪らしい街並みが続きます。
突然、思いかけず、タイムスリップしたような場所に迷
い込みました。
下に示すお寺を中心に、似たような古くて重厚な街並み
が集積しています。
一体どこに来たのでしょうか。ふと見ると表札がありました。
「下田部高札場」とあります。江戸時代の高札場がそのまま
残っていたのです。
場所は、下田部町。高槻市のような大阪のベッドタウンとして
都市化が激しい街で、このようにまとまって古いたたずまいが
残されているのは不思議でなりません。
(まわりは、開発されて工場や、大規模店舗など、どこにも古
いものはありません)
ただ、隣接する新興住宅街には、(悪いのですが)少し笑いが
でてしまいました。
まるでお城の天守閣のように屋根が重ねられた建売住宅が、
数十件、集積しているのです。
おそらく、昭和50年前後に建てられたのでしょうが、この「ごて
ごて感」は、関西ならではのものと、関東の目になれた目には
映ります。
現代のスタイリッシュの住宅デザインからすると、とても時代が
かっていますが、意外に50年以上すれば、レトロで味がある建
築として受け入れられるような気がします。
「時を経る」ことにより物質が風化し味が出るというのはなぜな
のかなどと余計なことを考えてしまいました。
<本日の絵>
ワットマン SM 大阪ステーションシティ屋上
昨年の9月、大阪滞在中に大阪ステーションホテルの屋上に、
庭園があるのを見つけました。若い主婦と思われる女性二人、
熱心に庭の土の手入れをしている姿をスケッチしました。
疲れていたので、細かいところまで描いていません。
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