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仙台が生んだアンビシャスガール 「星良」、あるいは相馬黒光(5)
仙台時代には彼女の恋愛観、結婚観を左右する重要な
出来事がおこりました。
それは姉の蓮子の発狂です。
原因は、婚約解消でした。
すでに東京で著名人だった、黒光の叔母、佐々木豊寿(
幼名、艶)の紹介で、豊寿が副会長をしていた団体、嬌
風会の会長、矢島女史の息子と婚約し、東京で花嫁修業
をしていたところ、突然、理由なく仙台に返されたのです。
蓮子は、ほどなく発狂します。自伝、「黙移」の中で姉が
発狂し、戸外に髪振り乱して駆け回る様子を描いた部分は
鬼気迫るものがあります。
黒光は、姉の取り押さえ役を任されますが、「黙移」の中
で「年の頃は十二、三才お下げ髪の子供の私」が、「見せ
つけられたものは、肉親の姉のこういう悲惨な姿」であり、
「姉の狂える魂の叫びが胸に喰い込みました」と語ってい
ます。
このあと、男性不信(姉の婚約相手)と社会指導者にある
矢島女史の「公」と「私」の一面も著しい落差により社会の
根底を疑う心の眼を植えつけられたと振り返っています。
「そうして成長した私は極端に異性を憎悪し、またいささか
こちらが強くなると相手を嘲弄したりして手のつけられぬ
見事駻馬になってしまいました。これがため周囲の異性や
夫を如何に苦しめ、迷惑をかけましたか、思えば恐ろしいこ
とでございます。」
以上の文章を書いたのは黒光が60歳の時ですが、この中
ですでに、後年の彼女の異性に対する態度が自身により
分析されています。
実は、ここでは詳しく描きませんが、恋愛観、結婚観に関し
ては、二つのエピソードを外せません。
一つは、伊達藩の支藩の領主の孫で画家の卵、布施淡との
交際です。
この明治の時代に、布施の友人とともに3人で泊まり込みの
旅行をしますが、現代ならともかく、当時大胆きわまりない行
動です。
そして結婚観に大きな影響を与えたのは、あの叔母、佐々
木豊寿の娘、信子の国木田独歩との恋愛と親の反対に逆ら
った結婚です(有島武郎の「或る女」のモデルだそうです)。
これは、悲劇的な結果に終わりますが、黒光が、のちのちま
でかかわっています。
この信子のその後の生き方は別の意味で興味深く、現代の
女性にも、考えさせるところがあると思います。一読してみて
はいかがでしょうか。
(続く)
<本日の絵>(途中経過版)
全紙 アルシュ 神宮球場
N先生に、東京36景展の候補としては却下されましたが、細々と色塗りを
続けています。建物がだめなら、空をドラマチックにするしかないのでし
ょうか。これまた考えあぐねています。
出来事がおこりました。
それは姉の蓮子の発狂です。
原因は、婚約解消でした。
すでに東京で著名人だった、黒光の叔母、佐々木豊寿(
幼名、艶)の紹介で、豊寿が副会長をしていた団体、嬌
風会の会長、矢島女史の息子と婚約し、東京で花嫁修業
をしていたところ、突然、理由なく仙台に返されたのです。
蓮子は、ほどなく発狂します。自伝、「黙移」の中で姉が
発狂し、戸外に髪振り乱して駆け回る様子を描いた部分は
鬼気迫るものがあります。
黒光は、姉の取り押さえ役を任されますが、「黙移」の中
で「年の頃は十二、三才お下げ髪の子供の私」が、「見せ
つけられたものは、肉親の姉のこういう悲惨な姿」であり、
「姉の狂える魂の叫びが胸に喰い込みました」と語ってい
ます。
このあと、男性不信(姉の婚約相手)と社会指導者にある
矢島女史の「公」と「私」の一面も著しい落差により社会の
根底を疑う心の眼を植えつけられたと振り返っています。
「そうして成長した私は極端に異性を憎悪し、またいささか
こちらが強くなると相手を嘲弄したりして手のつけられぬ
見事駻馬になってしまいました。これがため周囲の異性や
夫を如何に苦しめ、迷惑をかけましたか、思えば恐ろしいこ
とでございます。」
以上の文章を書いたのは黒光が60歳の時ですが、この中
ですでに、後年の彼女の異性に対する態度が自身により
分析されています。
実は、ここでは詳しく描きませんが、恋愛観、結婚観に関し
ては、二つのエピソードを外せません。
一つは、伊達藩の支藩の領主の孫で画家の卵、布施淡との
交際です。
この明治の時代に、布施の友人とともに3人で泊まり込みの
旅行をしますが、現代ならともかく、当時大胆きわまりない行
動です。
そして結婚観に大きな影響を与えたのは、あの叔母、佐々
木豊寿の娘、信子の国木田独歩との恋愛と親の反対に逆ら
った結婚です(有島武郎の「或る女」のモデルだそうです)。
これは、悲劇的な結果に終わりますが、黒光が、のちのちま
でかかわっています。
この信子のその後の生き方は別の意味で興味深く、現代の
女性にも、考えさせるところがあると思います。一読してみて
はいかがでしょうか。
(続く)
<本日の絵>(途中経過版)
全紙 アルシュ 神宮球場
N先生に、東京36景展の候補としては却下されましたが、細々と色塗りを
続けています。建物がだめなら、空をドラマチックにするしかないのでし
ょうか。これまた考えあぐねています。
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