平幹二郎の似顔絵スケッチ

俳優の平幹二郎氏に本日新宿行きの小田急電車で出会いま
した。

小田急線某駅から乗ってきて、私の正面右に座ったのですが、
大物俳優にもかかわらず、周りの人は、誰も気が付きません。

その理由は、サングラスをかけて、目がはっきりしていないのと、
ごく自然な態度で優先席に座ったためかもしれません。

しかし、もしかしたら、最近の若い人たちは知らないのかもしれ
ませんし、知っている人もまさか電車に乗ってくるとは思わなか
ったのでしょう。

なぜ、私はわかったのかですって?

実は、私が行っているスポーツジムに、今年になって入られた
ようで、トレーニング中の姿や動きの様子などを見かけて知って
いたからです。すぐにわかりました。

このブログを始めた時、東京にある仙台に関係するものをたび
たび記事に取り上げました。

仙台の職場は、平幹二郎が主演を演じたNHKの大河ドラマ「
ノ木は残った
」の原田甲斐の屋敷跡に近く、そばを通るたびに、
平幹二郎の顔が浮かんだものでした。
ですから、このブログで取り上げてもおかしくないでしょう。

しかし、かえすがえすも残念なのは、電車スケッチできなかった
ことです。この時に限ってマイブックとペンを持ち合わせておらず、
千載一遇のチャンスを逃しました。(くやしいので、普段描かない
似顔絵を描きましたので、本日の絵をご覧ください。)

なお、この時の平氏のいでたち:白抜きの文字柄が一部入った黒
のTシャツ、薄紫のパンツに真っ白のカジュアルシューズ、赤銅
色の大きな金属ネックレスをかけ、手に大きな指輪、顔にはグラ
デーションのついたサングラス、そして頭には中折れのストロー
ハット。

ラフな格好でしたが、180cm程度の長身、がっちりした体格、細
長い脚に服装が似合い、おしゃれで、とてももうすぐ八十歳となる
老人とは見えません。

歳をとった男性として、見習うべき心がけです。

<本日の絵>
コクヨ画用紙 似顔絵(平幹二郎)
似顔絵(平幹二郎)003
ごく最近の写真をもとに描きました。本文にも書きましたが、この
写真でもバンダナを頭につける、若作りのセーターを着るなど、お
しゃれに気を使っている様子が伺えます。

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江戸、東京の瓦屋根(5) 「風立ちぬ」余談

このシリーズの(3)で、「風立ちぬ」の背景画の瓦屋根について記事にしましたが、
話題作にも拘わらず、感想を書かないのも悪い気がしていたので、最後に「風立ち
ぬ」を見て気づいたことを紹介してこのシリーズを終えることにします。

すべてのレビューを見たわけではありませんが、現代の若い女性から抗議を受け
てもおかしくない内容がふんだんに出てきますが、まだ誰からも、そのことについて
指摘が無いようです。(レビューを調べたのは、公開して1週間後ぐらいですから、
今は抗議されているかもれません)

それは、以下の点です。

1)映画が始まって比較的早い段階で、堀越二郎の同僚でライバルの本庄が、「仕
  事をするために、身の回りの世話をしてくれる嫁を見つける云々」という内容の
  セリフが流れた時に、少し身が固くなるほど緊張しました。
  なぜなら、言い回しは、正確に覚えていませんが、明らかに、当時の男性が普
  通に口にする言い方だったからです。今、そんなことを言ってよいのかと。

  今まで、忘れていた亡霊が出てきたようです。その文化を受け継いでいる団塊
  世代の私ですら、そう感じたのですから、それだけ女性蔑視ととられかねない
  言葉を聞くと、若い人は、私以上に驚くはずです。 

2)また、堀越二郎も、結婚後の態度は、今の女性の立場からは必ずしも望ましい
  ものではありません。あえて言えば、仕事を優先する(本当の堀越自身がどうだ
  ったかは知りません)姿を、当時の男性(特に、帝大出のエリート技術者)ならば、
  いかにも、そうだろうという姿を意識的に描いているように見えます。
  そして、奈穂子の態度も、私から見ても歯がゆいものを感じます。

3)これを、どう見るか。宮崎駿自身も持つ、当時の精神文化を素直に映し出してい
  るのだとも考えられます。あるいは、当時の街の姿を忠実に再現するだけでなく、
  精神文化までも、忠実に再現しようとしたのかもしれません。
  (最近の時代劇が、姿かたちだけが昔のままで、話す言語は、現代語で、考え方
  も現代人というむちゃくちゃな状況に対するあてつけなのかどうか)

上述のように私が感じてしまうほど、何事も「キレイゴト」でなければならない現代
の風潮に、私自身も染まっていたなと考えさせる映画でした。

実際、あらゆるところで煙草に火をつけるシーンに対して抗議をした団体が出たり、
この映画ではありませんが、「はだしのゲン」貸出を自主規制する教育委員会が出
たりと、汚いもの、タブーであるものを覆い隠す動きが強まったようです。

その意味で、話題作になる要素が満載の映画だといえます。(大人向けか、子供向
けかという論争も)

いずれにせよ、この映画に関する色々な評価の中で、共通するのは、あまりにアニ
メ(宮崎アニメ)に対し、何もかも期待する態度です。
通常のシリアスな映画や純文学の方が、大人に深い感銘を与えるけれど、わずか
な数の観客であるのに対し、アニメは、世代を超え、通常の映画や本ではとても獲
得できない、膨大な観客に影響を与えます。それだけでも、大変な効果だと思われ
ます。

私自身は、震災前の瓦屋根の描写に惹かれたように、宮崎が思い描く戦前の日本
の風景を楽しむだけで十分でした。

なお、背景画といえば、YOU TUBEで数年前からジブリの男鹿和夫の背景画の動
画を見つけて楽しんでいます。印象的な絵が多いので、ご参考までに下に挙げます。




<本日の絵>
マイブック 人物スケッチ(千代田線)
人物スケッチ(千代田線)160
頬杖をつき、何を想うのか。(電車では珍しいポーズ)

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江戸、東京の瓦屋根(3) 変遷を辿る

関東大震災で、下町や、江戸期以来続いた商業地域が一変したのですが、
明治から、昭和初期、戦後と東京の街並みの変遷を知るために、本を探す
ことにしました。

結果として、これまでに下に示す写真の本を読み終えました。

1)木村壮八著、新編 東京繁昌記 (岩波文庫)
2)今和次郎著 新版大東京案内〈上〉 (ちくま学芸文庫)
3)今和次郎著 新版大東京案内〈下〉 (ちくま学芸文庫)
4)川添登著  東京の原風景 (ちくま学芸文庫)
5)キャサリーン・サンソム著 東京に暮す―1928~1936 (岩波文庫)

以上は、ベストの本かどうかはわかりませんが、少なくとも東京の街につい
て関心を持つ者にとって、木村壮八の1)、今和次郎の2)、3)は必読の書
だと思います。

東京書籍

詳細内容の紹介はここではいたしませんが、特徴を上げますと、今和次
郎は、どこまでも学者の語り口。データ主義。これに対して、木村壮八の
それは、実作者の語り口。取り留めもなく話題が広がりますが、実に味が
あり、またその現場の観察からくるものの見方に魅せられます。
(本人の挿絵も都市スケッチの観点から必見です)

一方、4)と5)は昔購入した蔵書の中から選んで、再読したのですが、4)
では庭園都市としての見方(川添)に改めて興味を呼び戻され、5)では、
生きていれば、一緒に東京について語り合いたいと思うほど、サンソム夫
人の素晴らしい人柄が伝わります。(友人の外国人女性の画家のスケッチ
も日本人とは異なる線描に注目)

さて、このシリーズの冒頭に挙げた疑問、「なぜ、東京の家並みの屋根は、
うすっぺらなスレートやトタンばかりなのか?」に戻ります。

詳しい説明は端折って、以下、解答(仮説)です。

仮説:江戸期の瓦屋根は、明治の近代建築の建築にも拘わらず、関東大
震災まで瓦屋根の街並みが続いていたが、大震災により壊滅する。震災
後、大正から昭和初期にかけて、耐震性を考慮してコンクリート建築が増
加、昭和初期の東京の街並みが作られるが、太平洋戦争の空襲により壊
滅する。
戦後の復興の過程で、東京では即効性の、トタン屋根、スレート製の瓦が
応急的に用いられる。(この頃に、東京の屋根のイメージができる)
昭和30年代になり、高度経済成長の波に乗り、大量生産、安くて軽く、規格
が維持できる新建材による瓦が開発され、普及していく。さらに東京オリン
ピック開催のため、この傾向はさらに強くなり、新型瓦が主流になり、現在
まで続く。東京では、もはや昔ながらの瓦が用いられることはなかった。

以上が、東京で本格的な和様の瓦屋根が少ない理由の仮説ですが、関東
大震災、空襲に加えて、戦後の資本主義経済原理による安価で軽い瓦の
規格品の大量生産が、追い打ちをかけたと思われます。特に、高度成長の
信奉が、古いものを捨て去り、新しいものに建て替える度合いが、東京が
大きかったと思われます。
(一方、東京以外では、小江戸と呼ばれる川越の商家や、千葉県の田舎の
立派な瓦屋根の家々が思い出され、瓦屋根に関する限り、東京はかなり特
別な状況なのではないでしょうか)


<本日の絵>
マイブック 人物スケッチ(千代田線)
人物スケッチ(千代田線)159
めずらしく、目を見開いた女性。(最近は、スマホを見るために
下を向いているか、寝ているかどちらかです)

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江戸、東京の瓦屋根(3) 「風立ちぬ」に見た

それでは、幕末以降明治期、商家や一般家屋がどうなったので
しょうか?

少なくとも、私の場合は、残された一般家屋の遺構から、単独の
瓦屋根の家屋のイメージを推測するだけで、街並みの様子を想
像するとができません。(名所となるような近代建物は、絵葉書で
いくらでもみることができますが)

一方、昭和以降になると、コンクリートの建物が並ぶ街並みが東
京の都市風景として頭に浮かびます。
(藤牧義夫や松本竣介の世界と重なります。)

ところが、7月になって、テレビで宮崎駿の「風立ちぬ」の紹介番
組が放送されるようになり、関東大震災のシーンがほんの少し映
し出された時に、重厚な瓦屋根が連なる東京の街並みが描かれ
ているのを見て、やはりそうだったのかという思いがしたのです。

「生きねば」ならぬ「見なければ」という思いで、公開日(7月20日)
の翌週の平日、この話題作を見に出かけ、瓦屋根の情景をたっ
ぷりと味わうことができました。

参考までに、以下、風立ちぬの予告編動画、および関東大震災
前の東京の街並みを描写した部分を予告編から抜き出して示し
ます。



風立ちぬ(トリミング)

風立ぬ2(トリミング)

これが本当だとすると、明治期の東京の瓦屋根の街並みの空白
が埋まったことになります。
(瓦屋根が連なる東京の情景は、私が知らない当時の写真に基づ
くのか、それとも想像で描いたのか、どちらかわかりませんが)

なお、大震災以外の背景は、全編、緑の山と青い空、白い雲が中
心の背景画で、戦前の暗い印象をとり払うかのように、昭和初期の
日本の風景が、これでもかと出てきます。

ただ、その中で、我が版画が常套手段の、夕暮れ風景が一部効果
的に使われているので、ご紹介します。(大きくは、下のサムネイル
をクリックください。)

           風立ぬ3(トリミング)

隅田川の戦前の情景は、藤牧義夫の絵巻や、最近では半藤一利
の「隅田川の向う側 私の昭和史」(創元社)に情景が描かれていま
す。今回の映画の絵は、その彩色版ともいえます。
(続く)

<本日の絵>
マイブック 人物スケッチ(千代田線)
人物スケッチ(千代田線)158
最近は、まず腕や手の表情に目を向けて、描いています。

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江戸、東京の瓦屋根(2) 商家の屋根の鬼瓦

線スケッチを始めてから、地方の古い商家や街並みを、意識して
見てきました。その中で、昨年まで3年間滞在した仙台で、ある家
を見て、前回述べた疑問を思い出したのです。

仙台は、ご承知の通り、戦災で、古い町並みはほとんど残っていま
せんが、北山五山に出かける通り道で、土蔵が崩れかけた江戸時
代の商家らしい家を見かけました。その時に、屋根の鬼瓦が尋常で
はない大きさだったのです。

そういえば、なぜ堂々とした鬼瓦を持つ商家が東京にほとんどみか
けないのか、一般住宅の屋根に瓦屋根が少ないことと何か関係が
あるのではないかと。

一方、幕末、明治、大正、昭和初期の風景については、このブログ
で、カテゴリーまで設けて、記事にしてきました。

しかし、当時の江戸、東京の写真については、いわゆる武家屋敷や、
明治以降の和洋折衷近代建築に関心が行っていて、商家の瓦屋根
に目をやることがなかったのです。

実際、昔、江戸東京博物館での展示を思い出しても、江戸城などの
武家屋敷のミニチュアが中心で、屋根は、御殿様式の優美なもので
すし、いわゆるお城の櫓などの瓦屋根も、驚かすような飾りは思い出
せません。

         江戸東京博物館

そこで、この間の変化を知ることが手掛かりになるのではないかと、二
か月以上前に、「ファインバーグコレクション展」を見たついでに、博物
館の常設展示を以上の問題意識で、見てみました。

すると、(昔はなかったような気がするのですが)、三井越後屋江戸本
店の復元模型があるではありませんか。

         江戸東京博物館

すぐに、屋根に目をやると、まさに、めだつ鬼瓦が鎮座しています。

ここまで、書いて、3年前、江戸のパノラマ描きについて記事を書いたこ
とを思い出しました。

記事を描いた時は、ロシアの画家が線描で江戸を描いていることに感
激したのですが、よく見ると、商家の大きな鬼瓦が描かれています。
(下に再掲します)
江戸通町筋部分
いつそれでは、このような瓦屋根がなくなったのか? 探索の旅に出まし
ょう。
(続く)

<本日の絵>
マイブック 人物スケッチ(千代田線)
人物スケッチ(千代田線)157
大仏さんのようなお顔が印象的な、中年女性。腕っ節のよさに、
描いていて気持ちがよかったことを思い出します。
最近、なぜか歳を経て、貫禄が出てきた女性を描くと、線の走り
がよいような気がします。

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江戸、東京の瓦屋根(1) 若き日の疑問

日本の風景を考えるうえで、瓦屋根の家を抜きに語ることはできません。

以前、江戸、東京の瓦屋根について、一度日を改めて記事にしたいと予
告しました。


話は、長くなります。私の東京の屋根に関する疑問は、実は高校生の頃
に遡ります。(今から50年ほど前。東京オリンピックの頃。「三丁目の夕日」
が対象とする時代です。)

「なぜ、東京の家並みの屋根は、うすっぺらなスレートやトタンばかりなの
か?」(東京生まれの方には、気分悪くされる言い方でしょうが、申し訳あ
りません、当時、地方の人からみれば、東京の住宅の街並みはそういう
イメージだったと思います。)

実際、高校2年の夏、関西から、東京の親戚を訪ねた時に、車窓から見え
る家並みが、熱海を超え、小田原付近から、それまでの重厚な瓦屋根から
トタン、スレート屋根にガラッと変化し、横浜東京までそれが続くのです。

やはり、イメージは違っていなかったと思いました。

その後、しばらくこのことは忘れていました。就職して、横浜に勤め始め
ても、その疑問を思い出すことはなかったのですが、線スケッチをはじめて、
特に戦前の商家を描く対象として意識し始めると、俄然その疑問が大きく心
の中で占めはじめました。

前置きが長くなりましたが、次回以降、都会スケッチの関連で、この話題に
ついて書いていきたいと思います。
(続く)

<本日の絵>
マイブック 人物スケッチ(千代田線)
人物スケッチ(千代田線)156
ドアに立つ女性です。少し、遠いところから描いたので、久しぶりに全身が
入りました。

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北野異人館街訪問およびスケッチ(3)

北野広場を出て、まだ見ていない通りを散策して駅に向かうことにします。
うろこの館から広場に向かうまでにも、気になる場所がありましたが、広
場から西に向かう途中にも、雰囲気のある路地や、無名ですが、興味深い
ポイントがいくつもありました。

例えば、本館は取り壊されて、風情ある塀だけある路地や、何気ない洋館
の紋のデザイン、また、現在居住していて、お金がかけられないのか、手入
れがよくないが、生活感のある洋館などです。

   北野異人館 北野異人館 北野異人館

いずれも、観光地然として、あまりにもきれいに整備された洋館よりもスケッ
チ的には心が惹かれます。

神戸外国人倶楽部のいかめしい門を横目に見ながら下ると、洋館が立ち並
んだ広い道に出ます。この散策を開始した異人館通りの西側部分にあたり
ます。

      北野異人館 北野異人館

北側は、石垣の屋敷が並んでいますが、よく見えません。南側の家を見なが
ら、ハンター坂を経て三宮駅に向かいました。

今回の訪問で、北野異人館は、昔のイメージとは全く違い、おしゃれな観光
地となっていました。横浜のゆったりとした洋館の配置と違い、変化の多い
坂の上に、密集して林立しているので、観光地でありながら、自分独自のス
ケッチポイントを見つけることができます。

予想外によい場所だと思います。次回は、時間をかけてまわりたいと思いま
す。

<本日の絵>
マイブック 人物スケッチ(千代田線)
人物スケッチ(千代田線)155
恰幅の良いご婦人(要は、少し肥満体の方)は、なぜか描き
やすい気がします。出来た絵も、愛着が出てきます。

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北野異人館街訪問およびスケッチ(2)

坂を上ったところで、大きな通りに出たので、右を見ると、それらしい洋館が
建ち並んで、人だかりがしています。そこで、向かってみると案内板がありま
した。

               北野異人館

広い通りは、北野通り、別名「異人館街」とあります。そこで、この通りを見て
から、さらに山の上、「うろこの館」方面から巡ることにしました。


北野異人館 北野異人館 北野異人館

急な坂を上っていくと、うろこの館にでます。この辺りは、洋館が集まっていて、
観光客であふれています。

     北野異人館 北野異人館 北野異人館

うろこの館周辺を見た後、もう一つの洋館の集積地、北野町広場に向かいます。
広場を挟んで、萌黄の館、風見鶏の館が立ち、広場では大道芸人がいろんなパ
フォーマンスを繰り広げています。(日曜日)

北野異人館 北野異人館 北野異人館 北野異人館

最初の訪問のときに、ここを描いてみたいと思ったので、8月に出かけたときに、
F6で、風見鶏の館をバックにパフォーマンスを見ている観光客の群れを描いて
みました。(<本日の絵>)

<本日の絵>
ワットマン F6 神戸北野異人館 広場(線描)
神戸、北野異人館(正)
背後の洋館は「風見鶏の館」と異名をとる家ですが、肝心の風見
鶏がある塔の先まで描くことができませんでした。
広場の歌い手(画面左方向、ここでは見えない)を見つめる観客は、
余りに数が多く、帰る時間が迫っていたので、描きなぐるように次か
ら次へと現場で描いています。ですから、個々のの人物はいいかげん
で、全体の観客の雰囲気がわかればという程度です。

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北野異人館街訪問およびスケッチ(1)

神戸の北野異人館街を、先月および今月、2回に亘って訪
れました。

明治期門戸を開放して、開港し、外国人遺留地を設けた横
浜と共に、日本を代表する港町になった神戸は、関西の都
市というよりは、むしろ横浜と兄弟(都市の場合は姉妹?)で
はないかと思うほど雰囲気が似ています。

横浜では、数年前になりますが、山手西洋館、外国人墓地
で、スケッチしたことがあり、横浜との対比を意識して、スケ
ッチポイントを探すことにしました。

実は、はるか昔この街を歩いたことがあったのですが、わず
かな記憶だけで、一体どの駅で降りて、どういったのかも覚
えていません。

阪急三宮駅を降りて、北野坂を山の手の方に上ります。飲み
屋を含む駅近くの繁華街も、心なしかおしゃれです。
(その理由がわかりました。色使いがパステルカラーというの
か原色ではなく、配色もしゃれているのです)

北野異人館 北野異人館 北野異人館 
      北野異人館 北野異人館

異人館近く、坂を上ったところに、すでに洋館が見えます。近く
によると、スターバックスが入っています。

時間がなかったので、向かいのマンションのガレージの中に入
り、あわただしくここをスケッチしました。(<本日の絵>)

<本日の絵>
maruman VIFART rough F2 北野坂 
神戸、北野異人館街165
あわただしくスケッチしたと本文に書きましたが、このスケッチは
後悔だらけです。不完全燃焼のまま、スケッチしてしまいました。
本来ならば、異人館をゆっくり見た後に描くべきだったのです。
さらに、記憶だけで彩色したため、白い壁の部分を緑に塗るという致
命的なミスをおかしてしまいました。白のガッシュで塗り直し、ごま
かしましたが、あまり後味がよくありません。

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新池ハニワ工場公園と埴輪スケッチ(2)

展示されたレプリカの埴輪を以下に示します。(少々数が多いのですが、
お許しください)

ここには、ここ、新池ハニワ工房で作成された埴輪が並んでいるのです
が、最近の考古学の成果をもってしても、何のために作られたかは、よ
くわからないところが、文字のない(史書のない)時代の宿命ですね。

新池ハニワ工場公園 新池ハニワ工場公園 新池ハニワ工場公園
新池ハニワ工場公園 新池ハニワ工場公園 新池ハニワ工場公園 新池ハニワ工場公園
新池ハニワ工場公園 新池ハニワ工場公園 新池ハニワ工場公園 新池ハニワ工場公園
新池ハニワ工場公園

これらの彫像が、少なくとも古墳に飾られたことは確かですが、副葬品の
武具、武器、装飾品、鏡などが、すべて海外I(朝鮮半島)渡来品から来た
のに対し、埴輪は、少なくとも渡来でなさそうだとすると、一体、古墳時代
の人々の美意識はどうだったのか、もしかしたら、現代まで至る日本の美
意識の源流がこの時代までさかのぼれるのかなどと空想が駆け巡ります。

(この、ゆるキャラ風のデザインが、大陸で見られるデザインの厳しさと
対照的です。どうしても、現代の日本の漫画までさかのぼりたくなります。
ちなみに、古墳時代に見られる、冠、宝飾品、馬具のデザインは、見事に
大陸中国の美意識に従っています。ところが、埴輪は、古代の王権を示す
ための遺物にも拘わらず、このゆるさは、大陸由来の厳しいデザインの宝
飾品とは、対照的です。)

いずれにせよ、そのあたりの解明は、今後の楽しみとして、前回紹介した
線スケッチを彩色しましたので<本日の絵>に掲げます。

<本日の絵>
maruman VIFART rough F3 新池ハニワ工場公園の埴輪
高槻。新池遺跡埴輪(彩色)
水面をもう少しメリハリをつけたほうがよかったかもしれません。

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