2015年度・第12回永沢まこと賞をいただきました!(2)

今回、砧公園の桜の絵を例示していただいた機会に、当時の
ブログ記事
を読み返しました。すっかり忘れていましたが、当時、
すでにこの砧公園の桜の作品の講評の中で、線描についての
持論を展開されていたのです。以下、再掲載します。

(前略)以下、「線」と「色」に対する先生のコメントの要点です。

 ・線スケッチの場合、色よりも線の出来が見抜かれる。線を
  見る目を持たなくてはならない。
 ・線には三つの性質がある。
   1)太さ(太いか細いか)
   2)スピード(速度)
   3)圧力
 ・1)は、ペンの種類で決まり、3つの性質の中では重要度
  は小さい。
  2)は、絵に速さ、時間性を与える。
  3)は、筆圧に関係し、3つの中では一番重要である。なぜ
  なら、描き手の意識が入っているから。
 ・どんなに色をキレイに塗っても、土台となる線に、その人が
  かけた意識が表れていなければ、化粧と同じで表面だけの
  キレイさでしかない。
 ・なぜ、自分がフェルトをペン先に持つ水性サインペンを用い
  始めたのか。これがあって、はじめて筆と同じように、描き
  手の意識を、筆圧で表現できるようになったから。

実は、教室では、ことあるごとに、以上の趣旨は、伝えておられ
るのですが、線の性質の分類と、数十年前NYで、N先生が見つ
けられた、日本の技術革新の成果であるフェルト水性サインペン
の必然性について聞いたのは初めてのような気がします。

どうやら、あれほど、促されたのは、私の絵を題材にして、桜と
いうテーマを線で表現することの難しさ、線スケッチにおける線
の本質を生徒全員に伝えたかったからなのでしょう。


今回の受賞を受けて、本来ならばさらに高みに向けて発展させ
なければならないのでしょうが、線描の奥深さをあらためてかみ
しめて線描にこだわってみたいと思います。

<本日の絵>
ワットマン F4 昼下がりの京都・先斗町通り(彩色)
京都・先斗町(彩色)
先生から受賞を知らせるNEWSLETTERを事前に送付いただきました。その
NEWSLETTRに例示として掲載されていた上記作品は、オフィシャルブログ
には載せられていないので、参考のため示します。

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菱田春草 《賢首菩薩(けんしゅぼさつ)》の線描について

菱田春草についての日曜美術館の番組を見ていたところ、
現在開催中の展覧会の中で、《賢首菩薩(けんしゅぼさつ)》
の線描について、出演者の芸大の教授の方が面白い表現
をされていました。

(賢首菩薩の絵については、ココをクリックください

すなわち、春草はこの作品で「縦に削る線」を用いていると。

実際に、紙を削っているのではありません。筆で、縦に紙を
削るように線を引いている。これに絵の魅力の要因の一つ
があるというのです。(熱のこもった口調から、この芸大教授
の方が発見した見方だと思います。)

      Hishida_Shunso.jpg
        (出典:wikimedia commons)

このブログでは、これまでに線描に関して折に触れて書いて
きましたが、このような見方がまだあったのかと思い、記事に
しました。

<本日の絵>
    菱田春草  黒き猫(1910 重要文化財) 
     209px-Kuroki_Neko_by_Hishida_Shunso.jpg
      (出典:wikimedia commons)

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美人とは

今年初めの記事で美人画の模写を始めたこと、一部そ
の模写を紹介しました。(現在も続けています)

ただ、それ以来、「美人画」とは?「美人」とはと、これ
まであまり気にしていなかったことが気になりだしたので
す。

そんな中、書店で雑誌「pen」の最新版、「1冊まるごと美
しい女たち」が目に入りました。ただちに購入。

           美しい女性(雑誌)

期待にたがわず、美人に関して多面的な角度からの記事が
多く、楽しんで読むことができました。

中でも、「私の心を揺さぶる「美人画」の魔力」と題する記事
があり、会田誠、宇野亜喜良、山口晃、宮下規久朗の4人
の美術関係者が選んだ名作が、各人の姿勢を表しています。

その中で線描をむねとする宇野亜喜良、山口晃は、他の二
人と違って、当然のように線描画を選んでいます。

宇野は、1)ボッティチェリの「プリマヴェーラ」2)小村雪岱
の「お伝地獄」3)秋野不矩の「朝」4)アーサーラッカムの
「不思議の国のアリス」

山口は、1)ボッティチェリの「石榴の聖母」2)おおた慶文の
「希望」3)鏑木清方の「築地明石町」

奇しくも、宇野、山口ともに、ボッチチェリを選んでいますが、
N先生がボッティチェリの線のデリカシーの素晴らしさを何度も
教室で指摘しているのと符合します。

小村雪岱の、黒が効いた絵に対して

「新聞だからモノクロなんだけど、べた刷りの黒という世界は、
実は日本的に見えてそれまで日本には存在しなかった技法」


という宇野の指摘に驚きました。これまでこれほど日本的な絵は
ないと思っていたからです。

でも、

ジャポニズムの影響を強く受けた(中略)ピアズリーの画風を
”逆輸入”して印刷×黒ベタというパンチのある絵に昇華させた。


という文章が次に続きます。「逆輸入」というからには、やはり日
本由来じゃないかと茶々をいれたくなるのですが・・。


<本日の絵>
SM ワットマン 吉祥寺・商店の夕暮れ
吉祥寺・夕暮れの店
日が暮れるイメージをどう出すかが途中経過版の悩みでした。
考えすぎてもしょうがないので、背後の部分だけ紺色に塗る
ことにしました。

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情報の連鎖 小村雪岱

(1)2010年1月9日(土) せんだいメディアテークの
             仙台図書館で、なにげなく
             星川清司著「小村雪岱」(1966
             平凡社)を手に取り、その絵に
             くぎ付けになる。

(2)2010年1月9日(土) 同じ日、エスカレータ横の
             ポスター展示コーナーの、
             50枚近いポスターの一枚に
             偶然目が行く。
             埼玉県立近代美術館の
             「小村雪岱とその時代」展
             のポスターで、まさに開催中。
             是非行かねばと思う。

(3)2010年1月23日(土)  新宿スケッチ教室で、N先生
             より、「小村雪岱とその時代」展
             の紹介がある。

(4)2010年1月30日(土) 書店を覗くと「幻術新潮」の最新号
              の平積みに眼が行く。特集のタイ
             トルは「小村雪岱を知っていますか」
             迷わず購入する。
小村

以上は、わずか3週間に起こった、小村雪岱にまつわる情報
の連鎖です。
             
厳密にいえば、(3)と(4)は、偶然の重なりではないと
も思いますが、星川清司の本を読んだ後に、(立ち読みで一気
に読んでしまいました)、ポスターが目に入ったのには驚き
ました。

線スケッチに魅せられていなければ、ほとんど興味を惹か
なかった、大正、昭和初期の新版画、挿絵画家。
どんどん、情報の連鎖で、集まってきます。

問題意識があると、これまで見えなかったものも見えてくる
ものと思います。

(1)の本については、松岡正剛氏が詳しい書評をweb上に
載せています。

松岡氏が褒めているほど、星川清司の文章はよいとは思
いませんでしたが、星川が、日本の挿絵画家は、どんな
に良い絵を描いても、日本画壇からは、冷たく扱われると
いう趣旨の文章があり、ひらめくものがありました。

常々、師匠のN先生から、「近代絵画では都市、それも現代
の情景を描いた絵画はほとんどない」と聞かされていること、
挿絵画家には、都会の情景を描いたすばらしい挿絵がたく
さんあるということと符合するものを感じたからです。

このことは、もう少しつきつめて考えてみようと思います。


<本日の絵>
アルシュ 全紙
マラケシュ停車場

マラケシュの大通りの停車場の線描を完成しました。
マイブックで描いたバス待つ人々はもっと自由な
姿勢をしていたのですが、それを書き写すことが
できませんでした。人物の動きが少し硬くなって
しまいました。

また歩道の敷石の模様は、アラベスク模様の聖なる
正12角形ですが、これにはてこずりました。

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驚きの「デッサ入門」(3)

「デッサン入門」には、対談とは別に、平山郁夫および前田常作それぞれ
各自が綴ったエッセイがあります。

なかでも、平山郁夫の「対象とのつきぬ対話」と題するエッセイの中で、
こんな文章に行き当たりました。

少し、長くなりますが引用します。

つまりデッサンとは、造形を支える骨格なのだ。骨格の上に味や雰囲気
が加えられ、完成作となるわけで、骨格がしっかりしていなければ、しょせ
んごまかしの作品になってしまう。


さらに、平山は「対象との真剣な対話が一本一本の線を生んでゆく」とし、
心ひかれた対象を可能な限り丁寧に観察して」線を引き始めれば、
へたはへたなりに、うまいはずの人がどうしても描けないような、完全な
小宇宙を創ることだってある


と、私たち未熟者が喜びそうなことを書いています。

一番いけないのは、へたなデッサンを、うまく見せようとして、ごまかす
ことである。ごまかせば、ごまかすほど想いは消え、無残な形骸だけが
残ってしまう。その上にどんな美しい色を施したところで、デッサンのごま
かしをおおいかくすことはできないのだ


に至っては、常日頃、師匠のN先生が口をすっぱくして諭していること
ではありませんか。

最後に、平山が、尾形光琳の紅白梅屏風図を例に、琳派に対して、予想
もしなかった見方を展開していることを紹介して終えることにします。

尾形光琳 梅図
出典:wikimedia commons

デッサンは基本的に線で構成されている、色面、あるいは色量で処理
されていると一般には受け取られがちの琳派の場合でさえ、それらは
線の集積なのである


と、予想外の記述が飛び出しました。

琳派の画家がよく用いた「たらしこみ」について考えてみると、これは色を
塗ってできるものではない。(途中略)塗っている面積はあっても、それは
線の拡大の要素が強いのである。(途中略)面を探りながら引いていった
線の束と考えるのが妥当と思う


これまで、琳派の絵を、装飾文様、イラストとどこが違うのか、それにしても、
俵屋宗達や光琳から受ける質感と感動はいったいどこからくるのか、
どう考えてよいかわからなかったのですが、なるほどこんな見方があるのか
と納得しました。

これからは、このような視点でみなければいけませんね。


本日の絵
本日はお休みします。

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